ストーリーもキャラクターも悪くないはず。でもなんだか面白くない。
そういう状態に陥ってしまうことってありますよね。
その原因のひとつとして考えられるのがストーリーの無駄な広がりです。話の方向性がぼんやりしすぎており、観客にしてみれば何を楽しめば良いのかわからない状態になっています。
焦点を絞るということをおぼえるだけで問題が解決する可能性があります。
つまらないストーリーを面白くなるよう変える。その方法のひとつが焦点を絞ること。
たとえばサッカーで対戦するシーンがあったとします。勝つために主人公が必死にプレーする様子をただ描いてもぼんやりしすぎ。観客には戦いの構図がいまいち見えてきません。
怪我の痛みを我慢して出場しているなどの設定を加えてみましょう。方向性をハッキリ出すと途端に話がわかりやすくなります。試合終了まで足の痛みを我慢できるかどうかの戦いになります。
焦点を絞ると明確な方向性が出て、観客はそれだけを楽しめば良い状態になります。
怪我している足が最後まで持てば勝利。途中で足の痛みに耐えられなくなれば負けです。
ダラダラとボールを蹴り合っている漫然とした試合よりも、興味の対象を絞ったほうが主人公の想いもよく読み取れます。主人公は怪我のことを気にしているのだから観客もそこを気にしておけばいいだけ。
SF作家の平井和正は、ストーリーで一番大切なものは何かと聞かれ「読者を結末まで引っぱっていくベクトル感覚だ」と回答しています。
ベクトル感覚、つまり方向性ですね。これを生み出す方法が焦点を絞ることです。
「これからサッカーの試合をはじめます。どちらが勝つか見ていてください」そう言われても観客は何に注目すればいいのかわからず困ります。でも主人公が足の怪我を我慢しているという設定ひとつで方向性が生まれ、観客もその部分だけを追って楽しむことができます。
試合中に起こるいろんな出来事だって足の痛みを我慢できるかどうかに関わってくるため、各出来事にも意味が生まれてきます。
自分の作ったストーリーが漠然としすぎていると感じたら、焦点を絞ってみましょう。カメラをもっと近づけて範囲を狭くする感じです。
たとえばアナタ自身がタイムマシーンのツアー旅行に参加して、戦国時代の合戦を観覧できることになったと考えてください。
合戦の模様を山の頂上から眺めると全体像がよくわかります。青の軍団と赤の軍団がぶつかり合っています。3万対3万ぐらいでしょうか。
でもなんだか退屈。具体性がありません。戦局が動いているのかどうかもよくわからないため、赤組と青組がワアワアやっているだけに見えます。
そこで案内人にお願いしてもっと近くで見せてもらうことにしました。「弓矢などが飛んでくるので気をつけてください」と注意を受けながら案内人と一緒に山を降りていきます。
すると合戦の様子がすぐ近くで見れるようになりました。山頂と違って全体像は見れなくなりましたが、兵士同士のぶつかり合う様子がはっきりとわかるようになりました。こっちの方がずっと迫力があります。
赤組が優勢のようです。戦場にあるひとつの橋をめぐって攻防戦が繰り広げられています。優勢な赤組が橋を渡ろうと一気呵成に攻め立てます。青組は橋を渡らせまいと必死の防戦。
山頂から眺めていたときは漠然としていて何に注目していいのかわかりませんでした。でも近くまで降りてきたらベクトル感覚が生まれました。橋を防衛できるかどうかがどうやら勝負の分かれ目です。ここを突破されたら青組はもう総崩れでしょう。
山を降りて焦点を絞ったおかげで、ひとつの橋をめぐる攻防戦を楽しめるようになりました。
案内人にさらにお願いをすることにしました。無理を言ってもっと近くで見せてもらうことに。案内人は困った顔をしながらもすぐ手が届きそうな所まで案内してくれました。すると橋の上にひときわ巨体の兵士がいて、ひとり奮戦しているのがわかりました。まるで三国志の張飛です。
張飛はどうやら自分がひとりで橋を守って、その間にみんなを逃がそうとしているのだとわかりました。もう命を捨てる覚悟のようです。
会話も聞こえてきました。張飛は自分のミスで青組を劣勢に立たせてしまったことに責任を感じているようです。そうしたキャラクターたちの想いまでわかってきました。
張飛は果たして橋を守れるのか。味方は無事に撤退することが出来るのか。
こうしたベクトル感覚がストーリーを面白くします。カメラを近づけて焦点を絞っていくのです。
山頂から眺めるのと違って戦場の全体像はもう完全にわからなくはなりました。でも兵士たちの会話などから、どうやらここの戦局がそのまま全体像につながる感じのようです。ここを突破されたら青組全体が終わりです。
全体像とのつながりはそうやって「全体像の縮図」という形で観客に納得してもらいます。観客を上手くだますわけです。
サッカーの試合の例でも同じです。実際の勝ち負けは主人公の足の怪我とは関係ないかもしれません。でもいかにも痛みの我慢度合いで勝敗が決まるような雰囲気を演出してだまします。
歴代映画ベストテンなどでも必ず上位にあがる『市民ケーン』
この映画が永遠の名作として語り継がれているのは、焦点を絞ったからです。ベクトル感覚の代表例といえます。焦点を絞ることの大切さを学べる格好の教材なので解説しておきます。
新聞王のケーンが死亡し、その生涯を記者が調べる話です。
ケーンはものすごい大金持ちです。でも実は寂しい人生だったのではないか。記者は調査を続けるうちにそう思うようになります。
それだけでも面白そうな話ではあります。巨万の富を築いた男が実は幸福ではなかったのではないかという話ですから。
『市民ケーン』はここからさらに焦点を絞ることで不朽の名作となりました。
ケーンは死ぬときにローズバッド(バラのつぼみ)という言葉を口にしました。新聞王ケーンの最後の言葉です。なぜそんな言葉を死に際につぶやいたのか。
「バラのつぼみって何?」
死にぎわに残した言葉だけに何か大きな意味を持っているはず。
これによってストーリーの方向性がはっきり絞られました。バラのつぼみという言葉の意味を解読すればいいんです。この言葉を残した理由が判明すればケーンの生涯も解明されます。大富豪であるケーンの人生がどのようなものであったかもすべてわかります。
新聞王ケーンの残したバラのつぼみという言葉が全体像の縮図になっています。バラのつぼみの解明にすべてが絞られました。
このわかりやすさ。ハッキリとした方向性。すぐそばまでカメラが寄ったような近さ。
まさにベクトル感覚です。
新聞王ケーンの人生をいろんな角度から多角的に調べていくようなぼんやりしたストーリーよりも、焦点をバラのつぼみという言葉ひとつに絞ったほうが断然面白くなります。
何の話なのかハッキリさせることはストーリー作りで非常に重要です。観客をうまく引き込めない人は焦点を絞ることを意識してみましょう。
「主人公にはちゃんと目標があって、ちゃんとそれに向かって行動している。でも何だかぼんやりしていて面白くない」そういう悩みはストーリー作りにつきものです。方向性をどれだけ明確に出せているか一度確認してみてください。
焦点を絞るというテクニックを紹介してきました。
焦点を絞るというこの技法は基本の応用テクニックです。基本をちゃんと身につけさえすれば自然と出来るようになることです。焦点をわざわざ絞るのは、基本どおり裏ストーリーの話に持っていくためなのだから。
「物語は結局のところ裏ストーリーの話に絞られていく」こういう基本を学んだはずです。オモテストーリーの方ばかりが目立ちますが、ストーリーが進むといずれ話は裏ストーリーの方が中心になっていきます。
観客に感情移入させているのも裏ストーリーの方です。観客が知りたがっているのも裏ストーリーの結果です。
だから焦点を絞ると面白くなります。
「これからサッカーの試合を始めるのでそこで見ていてください」というだけではオモテストーリーの試合だけを見せられることになります。主人公が怪我をしていて最後まで痛みを我慢できるかどうかという裏ストーリーの話に絞ることで、試合も楽しく観戦できるようになります。
焦点を絞ることはつまり、裏ストーリーに注目させるということ。観客が本当に見たがっている裏ストーリー上の攻防戦を用意してあげるということ。
たとえば『ロッキー』でもクライマックスの試合のシーンではちゃんと焦点を絞っています。途中でノックアウトされずに最終ラウンドまで戦い抜けばロッキーは目標達成です。「人生を取り戻す」という裏ストーリー上の勝利を手に入れます。
もしこうした「最後までリングに立ち続ける」という具体的な目標がなくて、チャンピオンとただ試合しているだけでは、観客はどうなればロッキーにとって勝利なのかイマイチよくわかりません。最後まで戦い抜くという具体的な目標を用意するだけで、観客もそれを応援すればいいだけになります。
焦点を絞るというテクニックが基本のただの応用でしかないことをわかっていないと、裏ストーリーと全然関係ない方向に話を絞ってしまいます。とにかく絞りさえすればいいのだと。基本が出来ていない人がやってしまう失敗です。応用技だけを知識として取り込んで方向違いな失敗をやってしまいます。
やはり一番大事なのは基本です。それを実戦の場でフル活用できるようにしないといけません。
とは言うものの、実際に基本が実戦の場でどのように使われているのかが初心者にはわかりにくかったりします。「裏ストーリーの話に持っていく」という基本を学んだけど実際の用法がよくわかりません。そのせいでせっかく基本を一生懸命勉強したのにうまく使いこなせていない人がたくさんいます。焦点を絞るという応用技にずっと気づかない人だって結構います。
そういう現実があるので、応用を一度学んでおくことには非常に意味があります。
物語の才能【応用編】ではこうした応用的な話をいろいろ紹介していきます。実戦テクニックや応用的なアドバイスをあれこれ並べているように見えますが、実際は「基本を実戦の場でどのように使うのか」を説明しているだけです。
そういう意味では、応用を学ぶことは基本を反対側からのぞくような勉強法だといえます。
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