面白いストーリーの作り方

【転結】クライマックスでは主人公の想いを強く出す

目次

転結はストーリーの最後のパートです。

ここで最終決戦が行われ、観客の見たかったものが出てきます。

「悪者なんて成敗されろ」と観客が願っていたのなら、クライマックスで悪が成敗されます。

母親を探して三千里も旅した少年は、クライマックスで母親とちゃんと再会を果たします。

観客が一番感動できるパートです。もう目指すのはこれだけ。主人公の想いをどれだけ強く出せるかで感動の大きさは決まります。

クライマックスは火力勝負。

主人公の想いが強く出る

「クライマックスシーンなので主人公を大活躍させればいいのではないか。敵とド派手に戦わせておけば盛り上がるのではないか」

そんなふうに短絡的に考えてしまいがちです。でも派手か地味かはどうでもいいです。大事なのは主人公の想いが強く出るかどうか

クライマックスをうまく作れない人はここを思い違いしています。派手に戦いはするけど主人公の感情面にまで考えが及んでいないため、想いが強く出てきません。

表面的なオモテのストーリーばかりを必死に作っていてはいけません。主人公の内面のドラマである裏ストーリーをしっかりと作りましょう。オモテストーリーだけでなく裏ストーリーも一緒にクライマックスを迎えるからこそ主人公の想いが爆発します。

観客が感動するのは、主人公の想いに胸を打たれるからです。

「こうなればいいな」と思っていたとおりの感情が強く出てくるので、観客のハートにまともに突き刺さります。

とにかく可能な限り想いを強く溢れ出させる必要があります。クライマックスに必要なのはそういうシーンです。観客が感動するかどうかはこれで決まります。

『ロッキー』ならチャンピオンとの対戦でロッキーが必死にダウンから立ち上がろうとするシーンですね。ここが一番盛り上がります。

チャンピオンに勝ってお金を稼ぐために立ち上がろうとしているワケではありません。みじめなオンボロ人生から脱却したくて必死に立ち上がろうとしています。あきらめていた人生を取り戻そうと必死なんです。

承前半と承後半でこうした主人公の秘めたる想いをちゃんと見せておけば、クライマックスシーンがビシッと決まります。

主人公はクライマックスで自分の限界を超えようとする

クライマックスでは主人公の想いをとにかく強く出さないといけません。

ではどんな瞬間に主人公の想いが爆発するのかといえば、主人公が自分の限界を超えようとするときです。

主人公が自分の殻をぶち破ろうとしたときに想いが強烈に爆発します。

そういう戦いをクライマックスに用意しましょう。自分の殻をぶち破らないといけなくなるシチュエーションに主人公を追い込みます。

ロッキーだって対戦相手のチャンピオンが強いので、自分の人生を取り戻すためには限界を超える必要が出てきます。人生をあきらめている男のままでは14ラウンドのダウンシーンからは立ち上がれません。

ロッキーは自分の殻を破り、人生を取り戻したいという想いを爆発させ、ダウンから立ち上がります。

ロッキーの想いが観客にも伝わるから感動が生まれます。「こうなって欲しい」と観客が望んでいた姿をロッキーは見せてくれます。

主人公が自分の限界を越えようとする
その瞬間に想いが爆発する。



主人公はついに限界を超える
観客にとってはまさに見たかったシーン。カタルシス発生!

新たに形成された想いを出す

クライマックスシーンとは主人公の想いが強く出るシーンのことです。

ではこの強く出てくる想いとは何か?

それはストーリーを通して主人公がたどり着いた新たな想いです。戦いを経て獲得したあらたな感情がクライマックスで爆発します。

たとえば『ロッキー』という映画は、人生をあきらめていた男が人生を取り戻す話です。最初の頃のロッキーはふがいない人生をなんとかしたいという気持ちはあるものの、自分には無理だとあきらめています。

しかしそんな男にチャンピオンとの対戦というチャンスが到来。ロッキーの止まっていた時間が動きはじめます。

対戦に向けて悪戦苦闘していくなかでロッキーは人生に立ち向かう気持ちを獲得していきます。

ストーリー中であらたに形成されたこの「人生に立ち向かう気持ち」がクライマックスで爆発します。

対戦相手は無敵のチャンピオンなので強いです。ロッキーはボコボコにされますが必死に最後まで戦おうとします。でも第14ラウンドに決定的なパンチをくらってダウン。チャンピオンは勝ったと思ってガッツポーズ。

しかしロッキーは血だらけになりながらも必死に立ち上がろうとします。

ここが『ロッキー』の最大の見せ場であり、観客が一番感動するシーンです。

ロッキーが立ち上がろうとする姿に観客が感動するのは、想いが強く出ているからです。チャンピオンに勝つためとかではなく、自分の人生を取り戻したくて必死に立ち上がろうとしていて、その想いが観客の胸を打ちます。

人生をあきらめていた男がストーリーを通して立ち向かう気持ちを獲得して、それがクライマックスで強く出てきます。

こういうシーンをクライマックスでは作らないといけません。

ちゃんと作れていたらそれは、間違いが正される瞬間になっているはずです。

人生と対峙する瞬間、テーマと対峙する瞬間とも言えます。自分の書いたものがちゃんとそうなっているかチェックしてみてください。

よくある間違い

主人公の想いが強く溢れ出る。クライマックスではそういうシーンを作ればいいわけですが、よくある間違いがひとつあります。

それは主人公が感情を爆発させるシーンを作ればいいのだと勘違いしてしまうこと。

強く出さないといけないのは想いです。感情ではありません。

出すべきは「spirit」です。「emotion」ではありません。

「ヒロインが死んで主人公が大号泣すればきっといいクライマックスになるぞ」みたいに安易に考えてはいけません。主人公が「俺はすごく悲しい!」などと大声で叫びながら号泣すれば感動させられるなどと思ってはいけません。

主人公がどれだけ感情を高ぶらせても観客の胸には響きません。

「クライマックスって何を書けばいいの?」そう悩んでいる人はここがわかっていないから書けません。

『ロッキー』を観てください。クライマックシーンのお手本として非常に良い教材です。

ダウンしたロッキーはただヨロヨロと立ち上がろうとしているだけです。大声で「うおー!」と雄叫びをあげているワケでもないし、泣いてもいません。何か自分の思っていることを喚き散らしながら立ち上がるわけでもありません。

フラつきながら弱々しく立ち上がるだけ。

それでもちゃんとロッキーの想いが強く出ています。

クライマックスでつい主人公を絶叫させてしまう人は注意が必要です。主人公が自分の思っていることをベラベラしゃべるシーンをつい書いてしまう人も要注意。

絶叫とか演説とか号泣シーンに頼っている人は、そもそも出すべき想い自体を用意できていない可能性があります。

承を抜くと感動が生まれない理由

クライマックスで爆発する想いというのは、ストーリーを通してやっと獲得したものです。だから承のパートではこの想いが形成されていく様子をしっかりと描かないといけません。

そうしないとクライマックスがやって来ても出すものがないという困った状態に。

「出すものがない。でも盛り上げねば」その結果主人公がクライマックスでやたら絶叫したり独演会をはじめたりします。

主人公が新たな想いを獲得するのは承です。だから承をしっかりと作れない人はいいクライマックスシーンも作れません。

このサイトで何度も言っていることですが、承を抜くとどんな名作でも駄作になります。この理由は、新たな想いが形成されていくパートが消えてしまうからです。そのせいでクライマックスも意味のないものになります。

たとえば『ロッキー』を見たことがない人に『ロッキー』のクライマックスシーンだけを見せてみましょう。全米が泣いた感動的なシーンですが、クライマックスだけを見せられた人はまったく感動しません。

クライマックスシーンの意味がわからないから。

ロッキーは第14ラウンドに決定的なパンチをくらってダウンします。でも立ち上がろうとします。あきらめていた人生を取り戻そうと必死に立ち上がる名シーンです。「頑張れロッキー!」と思わずにはおれません。

観客がそう感じるのはそれまでのストーリーを通してロッキーの想いを見せられているからです。だからこの試合がただの試合ではないことを知っています。ロッキーにとってはあきらめていた人生を取り戻すための戦いです。

第14ラウンドにダウンしたロッキーが必死に立ち上がろうとするとき、その「あきらめていた人生を取り戻すんだ」という想いが観客にも強く伝わります。ロッキーは何も言わないし、叫んだりもしません。ボロボロになりながらただ必死に立ち上がろうとしているだけです。

それでも観客にはロッキーの想いが強く伝わります。このときロッキーの心の中でどんな想いが爆発しているのかがわかります。

でももしこの想いが形成されるはずの承がなかったとしたらどうか。『ロッキー』を見たことがない人にいきなりクライマックスだけ見せたらどんな感想を持つか。

容易に想像がつきますよね。

感動なんてまったくしません。「ボクシングの映画だね。弱い方の選手がダウンしたね。でも立ったね。頑張ってるね」こんなものです。あらたな精神が形成されていく承の後半パートを見ていないのだから当然です。そのシーンでどんな想いが強く出ているのかがわからないのです。

まさに主人公がただ頑張るだけの話に思えるはずです。

承を抜くとどんな名作でも駄作になります。『ロッキー』のような名作でもクライマックスだけ見せられたらただの駄作でしかありません。

試しに友達に自分のお気入りの映画を「この映画すごく感動するんだ」と言っていきなりクライマックスシーンだけ見せてみましょう。あまりのつまらなさに友達は困ってしまうでしょう。

クライマックスだけ必死に作っても意味がありません。クライマックスで強く出すべき想いは承で作られます。

盛り上げるために大事なのは結局のところ感情移入

クライマックスでは主人公の想いをどれだけ高火力で出せるかが問われます。

しかしここまで説明してきたように、その高火力を実現するためのポイントは感情移入です。主人公が大声で叫ぶとか感情を高ぶらせるとかではありません。

たとえば前にも何回か例として出しましたが、サッカー部に所属する主人公が女性マネージャーをデートに誘う話があったとします。彼女はOKしてくれました。さっそく休日にデートしました。「あー楽しかった」めでたしめでたし。

全然面白くないストーリーです。

「あー楽しかった」という感情をどれだけ強く表明しても誰も感動しません。そのシーンで主人公がどれだけいい表情をしようが、感動的な音楽が流れようが、観客の胸には響きません。

主人公が楽しかろうが恋が実ろうが知ったことではないからです。

「こうなって欲しい」という観客の願望、つまり感情移入が必ず必要です。この強さがそのままクライマックスの盛り上がり度合いになります。

『ロッキー』のクライマックスシーンが盛り上がるのは、観客が戦いの構図に感情移入しているからです。観客はロッキーに人生をあきらめないで欲しいと願っています。タイトルマッチを戦い抜いて人生を取り戻して欲しいと願っています。

クライマックスというのは、観客の願っていることがその願望どおり起きるシーンのことです。対戦相手のチャンピオンは強いのでロッキーはボコボコにされ、観客の願いは打ち砕かれそうにもなります。だからハラハラドキドキして盛り上がります。

そして第14ラウンドに、ロッキーの想いが強く出るシーンが用意されています。

ストーリーが始まった当初はまだロッキーは間違っています。人生をあきらめていました。観客はその間違いが正されることを願い、ずっと映画に没頭してきました。そしてついにその間違いが正される瞬間が訪れます。

決定的なパンチをくらってしまったけど必死に立ち上がろうとするロッキー。「間違いが正されて欲しい。人生をあきらめないで欲しい」そう願っていたとおりの場面です。観客は立ち上がろうとするロッキーから「人生を取り戻したい」という強い想いを感じ取ります。

クライマックスシーンだけ必死に作っても感動は生まれません。

「こうなればいいな」という感情移入を生む戦いの構図が必要です。クライマックスで出すべき強い想いも、事前に承の後半で形成されてないといけません。

クライマックスというのはストーリーの集大成シーンです。

クライマックスが盛り上がらないのはクライマックスの作り方が悪いからではありません。ストーリー全体が弱いからです。

クライマックスが盛り上がらないときは、全部最初からやり直し。

クライマックスシーンを作るときの感覚

クライマックスを作るときの感覚を簡単に解説しておきます。

クライマックスシーンを頭の中であれこれ考えると思います。5個、6個、あるいは20個、30個。いろいろ候補が出るでしょう。

その中からピッタリくるものを選ぶだけです。

「理由はわからないけど、これがいいな」そう感じるものがあるはずです。なぜそれが他と違って良く思えるのかといえば、主人公の想いが強く出ているシーンになっているからです。

『ロッキー』だっていろんなクライマックス候補があったはずです。そうやって作っていく中でもとくに14ラウンドのダウンシーンはいいシーンに思えたはずです。「いいクライマックスシーンが作れたぞ」と好感触を持ったはずです。それでロッキーは14ラウンドにダウンすることに決定したんだと思います。

名作の名場面もおそらくこんな感じで作られています。いろいろ候補を考え、その中で好感触なものを採用する。それだけ。

天才はセンスだけで作っているので、なぜ他候補と違ってそのシーンだけ好感触に思えるのかがわからないと思います。基準となっているのは主人公の想いが強く出ているかどうかです。この基準に引っかかるものが最後は採用されています。

クライマックスというのはストーリーの集大成です。それだけに判断材料が豊富で良し悪しがわかりやすいというメリットがあります。好感触を得るものと全然魅力を感じないものが、作りながらでも割とはっきりわかります。そしてこのときの判断はそんなに間違ってはいません。

クライマックスを作るときは自分の感覚を信じましょう。つまらなく感じるものは主人公の想いが強く出ていないんです。5個とか6個で足りないときは20個、30個と候補を作っていきましょう。

主人公の想いを強く出す。この基本を意識しながら作っていけば、遅かれ早かれそういうシーンをいずれ思いつきます。

起・承前半・承後半。これらをしっかり作ってさえいたら、最終パートの転結は意外と簡単に作れます。「こうなればいいな」と思っていたとおりのことが起こればいいだけなのだから。

『ルーカスの初恋メモリー』のお手本のようなクライマックスシーン

勉強になる映画を最後にひとつ紹介しておきます。お手本のようなクライマックスシーンが出てくる『ルーカスの初恋メモリー』という映画です。

80年代とか90年代に青春時代を過ごした人にはおなじみの青春映画です。でも最近の若い人は意外とこの映画を見ていません。

ルーカスの初恋メモリー 映画

1985年に作られた古い映画なのでクライマックスシーンはちょっとクサいです。ニオイがしそうな青春丸出しシーンがクライマックスに用意されています。

しかしこれが素晴らしい。主人公の想いが教科書のようにきれいに爆発します。

クサいベタなシーンなのでわかりやすいという点もいいです。わざわざクサい音楽も流れてきます。映画を普段見ない人にとってもありがたいわかりやすさ。

どのようなクライマックスシーンなのかここで書くのは控えておきます。実際に映画を観てカタルシスを体験してみてください。主人公の変化していく様子も実体験してみてください。そうした流れを経てクライマックスシーンがやって来ます。

この映画を見て感じたことは小説やマンガを書いていく上できっと役に立ちます。

『ルーカスの初恋メモリー』というタイトルのせいでジョージルーカスが監督した青春映画と勘違いしてしまいそうですが、実はなんの関係もありません。主人公の少年の名前がルーカスというだけ。

そのへんでちょっと損をしている作品です。

中学生が年上の高校生に恋をする青春映画です。この作品がうまいのは飛び級という仕組みを上手に取り入れているところ。

このおかげで無理なく少年をピンチに追い込んでいます。

少年は飛び級で高校に入った秀才なので当然ながらまわりの高校生より背が低いです。顔も子供だし、ファッションも子供。しかも飛び級児ならではの変わり者。

こうしたことから学校中の笑いものに。

つまり学校内では序列の低い子みたいな扱いを受けています。飛び級を利用して上手くこの格下感を表現しています。

そんな格下ボーイが年上の美少女を好きになる。果たしてうまくいくのだろうか。

主人公は当初「大人として扱って欲しい」という秘めたる想いを持っています。こうした想いのせいでカッコつけたりするし、背伸びもするし、大人ぶったりします。

しかし恋に暗雲が垂れ込めてきます。

『ルーカスの初恋メモリー』が素晴らしいのは主人公の変化です。大人として扱ってくれよと思っていた少年が、最後はストレートに「大人になりたい」と思うようになります。

大人として扱って欲しい

大人になりたい

間違いが正されていくこの変化をぜひ見てください。

何度も言うようにクライマックスはちょっとくさいです。最近の気取った監督には撮れないような青春丸出しのクライマックスシーンです。まわりから子供扱いされてきた悔しさや大人になりたいという気持ちが一気に高火力で爆発する名シーンです。

『ルーカスの初恋メモリー』を見たことがない若い人はぜひこの機会に見てみてください。クライマックスってこういうシーンを作ればいいんだなと理解できるはずです。

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『ルーカスの初恋メモリー』の解説動画も作りました。こちらも参考に

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次のページからは各エピソード・各シーンの作り方を解説していきます。

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