物語とは単純にいうと主人公のドラマが描かれたものです。
だからストーリーの面白さは主人公次第のところがあります。ドラマを生み出すような資質を持った主人公を作れるかどうか。これで面白さが決まってきます。
主人公はかなり重要なのでこの基本講座でも複数のページに渡って作り方を解説します。
まずこのページではいい主人公の条件とは何か、ドラマ性とは何かという根本的な部分を説明します。主人公の作り方というよりはドラマ性の基礎原理を解説する感じになっています。それを全部背負っているのが主人公だよという話です。
具体的な作り方の解説は次ページ以降になります。
まずは一番大事な基礎部分をこのページで学んでおきましょう。
いい主人公を作りましょう。
ではいい主人公の条件とは何か?
それは、ドラマ性を持っていること。いい主人公とは面白いドラマを生み出せる主人公のことです。ドラマとなるタネを持っていないキャラを主人公にしても退屈な話にしかなりません。
ではこのドラマ性のもとになっているものは何かと言えば、主人公が何かを間違っていることです。これがストーリーに意味を生み出して観客を引き込みます。
主人公は何かを間違っていないといけません。
その状態で物語はスタートします。間違っているせいで主人公は最初苦戦します。しかし戦いの中で間違いに気づき、クライマックスでは勝利を手にします。
この流れがストーリーの基本形です。
なぜこうした流れによってドラマチックなストーリーになるのかというと、観客も主人公と同じ間違いをしているからです。
観客は主人公と同じように人生の何かを見落としています。自分と同じ間違いをやらかしている主人公を見た観客は、それが正されることを強く望みます。この願望こそが感情移入となって観客をストーリーに引き込みます。
戦いを通して主人公の間違いは正されていきます。まさに望んだとおりのことが起きるので観客は心地よさを感じながらラストシーンを迎えます。
誰だって実は世界の成り立ちがよくわかっていません。人生の意味も目的もよくわからず過ごしています。いろんなことが見えていません。主人公も同じです。見えていません。主人公の思い描いている世界と実際の現実の間には必ずズレが存在しています。だから物語の主人公というのは必ず何かを間違えています。人間はみんなそうです。生きるということは何かを間違ったまま人生を過ごしていくこと。人生が見えていないからみんな何かを見落としたまま生きています。
物語はこの部分を描くものです。主人公の考えていることと現実の間にはズレがあって、物語の中でそれに直面します。
主人公は何かを間違っている
↓
現実が、人生が、見えていない
↓
だから本人の認識と実際の現実のあいだには必ずズレがある
↓
目的のために戦うことでそのズレに直面して、人生の本当の姿にふれる
↓
間違いが正される
観客も主人公と同じようにズレを抱えたまま生きています。ストーリーを通して主人公と同じようにズレに悩み、同じように人生の本当の姿と遭遇させられます。
主人公だけがやらかしているちょっとしたミスなどを描いても物語にはなりません。世の中のみんながやってしまっている間違いじゃないといけません。主人公だけの間違いなら観客にとっては他人事でしかありません。興味なんて絶対持ってくれません。みんなにも共通する間違いを描きましょう。そうすれば観客をストーリーに引き込むことができます。
ストーリーを通してこの間違いは正されていきます。だからこそ人生の本当の姿が浮かび上がってきます。
何よりも主人公に必要なのは何かを間違っていることです。これがドラマのもとです。
たとえば『魔女の宅急便』の主人公キキは自分の無力さがわかっていません。本人の認識と現実のあいだにはズレが存在しています。親もとを離れてはじめて自分の無力さに気づきます。
しかしわかっていないのはみんなも同じです。痛い目を見ないと自分の無力さなんてわかりません。みんな自分の小ささを実感できないまま生きています。
『魔女の宅急便』はこれを描いた映画です。
家を出て新しい街にやってきたキキですが、苦労続きで物事が全然うまくいきません。キキにはその理由がわからないし、観客にも実はわかりません。どうやれば上手くいくのかもわかりません。
わからないものが描かれているからこそ、観客はストーリーの先がわからず引き込まれます。主人公のキキと同じように観客もつまずき、キキと同じようにストーリーの途中で間違いに気づき、最後は人生を知ることになります。
誰だって人生がわかっていません。だから主人公を作れば必ず何かを見落としているキャラになります。そんな主人公を通して人生を描こうとすれば、必ず間違いが正される話になります。
もしキキが何ひとつ間違ってなどいないキャラで、魔女として街の人を次々と助けていくだけのストーリーなら、絶対に面白くはなりません。そもそもドラマの起きそうな予感がまったく感じられないですよね。
主人公がうまく作れない人はキャラクターの枝葉の設定ばかり必死に考えてしまっています。「趣味はあれで、口癖はこれで」というように。そうやってキャラクターを魅力的にすることばかりを考えて、あとは面白そうなストーリー設定さえ思いつけば一丁上がりだと。
しかし面白さは主人公の持つドラマ性から生まれます。これがないならもう何をやっても無駄。「魅力的なキャラとストーリー設定を考えたけど、なぜか面白い作品にならない」と嘆くだけになります。
いい主人公の条件とはドラマを生み出すタネを持っていることです。そしてこのタネを一言でいい表すと、何かを間違っていることです。
間違いが正されるようなストーリーにしないといけません。しかしストーリー作りの勉強を始めたばかりの頃は、それがどのようなものかイメージがつきにくいものです。
そういうときに一番有効なのは具体例にふれること。
映画などをたくさん見ればイメージがつかめます。実際の具体例を下にもいくつか並べてみました。主人公が何を間違えているのか。それがどう正されるのか。感覚をつかんでください。
ロッキー
間違えている | 自分に枠をハメて人生をあきらめている。 |
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正される | 人生に立ち向かう。 |
ゴッドファーザー
間違えている | 自分の中にあるドンの素質に気づいてない。 |
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正される | 運命を悟る。 |
魔女の宅急便
間違えている | 親にもらったものでやっていけると思っている。 |
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正される | 自分の力で魔女になる |
風スローダウン
間違えている | 少年時代が終わろうとしていることに気づいてない。 |
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正される | 大人の道へ踏み出す。 |
ルーカスの初恋メモリー
間違えている | しょせんは子供なのに背伸びだけしている |
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正される | 大人になろうとする |
氷点
間違えている | 強めてしまった想いに気づいてない |
---|---|
正される | 養女への愛に気づく |
風が吹くまま
間違えている | 珍しい葬儀を撮影するためとくに悪気もないまま老婆の死を待っている。 |
---|---|
正される | そこに死があることを実感する。 |
アルジャーノンに花束を
間違えている | 頭さえ良くなれば幸せになれると思っている。 |
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正される | 人間らしい温かい気持ち。 |
小さな留学生
間違えている | 日本人は敵だから勝たねばならない。 |
---|---|
正される | 交流の中で親愛の情が芽生える。 |
新選組
間違えている | 江戸時代が終わろうとしているのに武士になりたがっている。 |
---|---|
正される | 武士として死んでいく。 |
ストーリー作りを少し勉強した人なら、成長とか変化という言葉を聞いたことがあると思います。
「物語とは主人公が成長する話のこと」
「物語とは変化を描くこと」
入門書を読むとそのように書いてあったりします。しかしこれは微妙に違うので今ここで軌道修正しておいてください。
物語を通して主人公が成長してもいいし、変化しても構いません。全然問題ないのですが、しかし根本的な原理を理解していないと安易な成長物語を作ってしまいます。
間違いが正されることによって主人公は成長します。間違いが正されるからこそ事態が変化します。
この根っこの部分がわかっていないとストーリーはうまく作れません。似ているのでどうしても勘違いしがちです。きちんと修正しておきましょう。
たとえば『ゴッドファーザー』は、マフィア稼業なんて継ぎたくないと言っていた三男坊こそが長男や次男を差し置いて本物のドンになっていく話です。主人公である三男坊マイケルは運命に飲み込まれていくことに最初は気づいていません。間違っています。
ストーリーが進むと自分の中に流れているドンの血に気づきはじめます。間違いが正されていくのです。
そしてついには、マフィアになりたくないと言っていたこの三男坊こそが本物のドンになってしまいます。
これを「成長」という言葉であらわすのは無理があります。「物語とは主人公が成長する話のこと」みたいな感覚でいると、『ゴッドファーザー』みたいなストーリーは作れなくなってしまいます。本物のドンになる話ではなく、主人公が途中で改心して善人になる話を作ってしまいそう。
成長という言葉にはどうしても「良くなる」みたいな意味が含まれます。だから成長という言葉でストーリーを捉えるのはやめた方がいいです。「主人公を良くせねば」という意識が働いて無駄に品行方正な成長ストーリーを作ってしまいます。
あるいはもっと単純にちょっとレベルアップするだけの話を作ってしまいます。陸上部の高校生が100メートル走のタイムを12秒台から11秒台に伸ばすだけの話など。タイムが伸びたのだから確かに成長はしているけど、何の意味もない退屈なストーリーです。
頑張ってタイムを伸ばす話ではなく、タイムが伸びなくて陸上をあきらめようとしているストーリーなどを作らないといけません。しかし成長という言葉にとらわれていると主人公の間違いをちゃんと描けず、ただのレベルアップ話を作ってしまいます。
成長という捉え方がマズいことは短編を読んだときの方がハッキリわかります。下の例などがわかりやすいでしょう。
『みんなの願い』星新一
神様があらわれて「お前たちの願いをひとつだけ叶えてやる」と人々の心に直接伝えてきた。世界中で一番多く願われているひとつの願いだけを叶えてやると。考える時間を1週間やるから何をお願いするか決めておけと。
どんなことをお願いしたら良いだろうか。各国の代表が集まって話し合う。でも結局まとまらず、何もお願いしないことになった。その謙虚な姿勢に神様も感心してこれからも私たちを温かく見守ってくれるだろう。
1週間後神様がふたたびあらわれた。世界中の人々は「何も願いはありません」と心の中で念じる。
しかし神様は「わかった願いを叶えよう」と言う。
そして世界から人間が消えた。人間以外の生き物たちがそう願ったから。
世界は人間だけのものではないぞ。みんなとは人間だけのことではないぞという物語です。
間違いが正されるわけです。成長とは違いますよね。
戦いの中で主人公が成長するのではありません。間違いが正されるのです。成長はその中に含まれる応用手法のひとつにすぎません。
成長という言葉以外にも修正しておいた方がいい言葉がいくつか存在します。「主人公には欠如が必要」と書いている本もあります。物語とはその欠如を回復する話なんだと。
これも問題ないといえば問題ないけど、でもやっぱり微妙に違います。
『ゴッドファーザー』の主人公のマイケルは運命に飲み込まれることに気づいていませんが、これを欠如と表現するのはやはり少しズレを感じます。先ほど例としてあげた星新一の『みんなの願い』などを見てもそうです。
だから欠如という捉え方もしない方がいいです。おかしな癖がついてしまいそう。
主人公に必要なのは欠如ではありません。必要なのは秘めたる想いです。似ているものですが微妙に違います。秘めたる想いこそがドラマ性のタネともいえる「主人公の間違い」を生み出します。秘めたる想いについては次のページで詳しく解説します。
「成長」「欠如」このふたつ以外にもここで修正しておいた方がいい言葉がもうひとつあります。「変化」という単純な捉え方もしない方がいいです。ストーリーが展開していくといろんなものが変化していきます。最初と最後で何かが変わっていればOKと思ってしまうと退屈なストーリーでも満足してしまいます。
「怪我をしたサッカー選手が1ヶ月間病院に通って無事に怪我を治しました。めでたしめでたし」そんな話を作ってしまいます。「怪我をしていたけど治った。変化した。だからOK」みたいな。
ストーリーは変化して当たり前です。変化だけで良し悪しを判断していてはいつまでたっても面白いストーリーを作れるようにはなりません。
成長・欠如・変化
こうした言葉で物語を捉えないよう注意してください。物語とは間違いが正される話のことです。その中に成長・欠如・変化が含まれているようなイメージです。根本部分をちゃんと理解しておきましょう。
主人公の設定がどうもうまくいかないのは、末端の部分ばかり考えているからです。
「年齢は何歳にしようか。職業は何にしようか。得意技は何にしようか。口癖は何にしようか」
そうした細々としたことばかり考えてしまいます。しかしこうしたものはストーリーの面白さには関係ありません。
面白いストーリーを作るためにはその面白さを生む主人公を考えないといけません。つまり、主人公のドラマを考えないといけません。
主人公の設定を考えるというよりは、主人公のドラマをどうするかを考える感じになります。
「キャラクター設定を考えることはストーリーを作ることと同じ」みたいな言葉がありますが、まさにそんな感じです。キャラクターとストーリーは切り離せません。
主人公の設定を考えるという行為は、どんなストーリーにしようかと考えるのとほぼ同じ行為です。主人公とストーリーを同時に作る感じ。
年齢とか職業などを決めるのはそのあとです。そうした細かい設定はストーリーの都合でどんどん改変されていきます。ストーリーが一番活きる設定にすればいいだけ。
優先すべきは主人公のドラマです。これが面白さを決定付けてしまいます。
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