面白いストーリーの作り方

主人公に感情移入させる方法とその重要性

目次

感情移入は大事です。もしこれが出来ていないならストーリーにも引き込めていません。

感情移入とは主人公に共感してもらうことではありません。用意した戦いの構図に対して「こうなって欲しい」という願望を持ってもらうことです。

しかしつい簡単に済ませがちな部分でもあります。主人公を観客と同じぐらいの年齢に設定して、観客と近い悩みを持たせたり。主要ターゲット層が20代の女性なら主人公も恋や仕事に悩むOLに設定して「わたしと同じだ」みたいに思わせて。

そうやって簡単に済ませてしまいます。

観客に近い境遇のキャラを用意しておけば多少は共感を生む助けにはなります。しかし多少はという程度のレベル。本当に重要なポイントはそこではありません。

重要なのは戦いの構図です。何をどう応援したらいいかを観客に提示して、戦いの行方を心配させることができたら感情移入は生まれます。

観客は戦いの構図に感情移入する

「感情移入とは結局のところ何? 自分は小説を読んでも映画を観てもあまり主人公に感情移入などしないから必要ないのでは?」

こんなふうに考える人は結構います。ここはよく間違う部分なので注意してください。観客は主人公になりきってストーリーを楽しんでいるワケではありません。主人公自体を応援しているワケでもありません。

観客が感情移入するのは戦いの構図に対してです。

子供が戦隊ヒーローを見て喜んでいる様子を想像してみてください。子供はヒーローになりきって見ているのではありません。戦隊ヒーローそのものを応援しているわけでもありません。子供たちが感情移入しているのは戦いの構図に対してです。「正義がんばれ。悪は滅びろ」と。

だから戦隊ヒーローが宝くじで7億円当たってもイマイチ喜べません。もし戦隊ヒーロー自体を応援していて、戦隊ヒーロー自体を愛しているなら、7億円ゲットに狂喜乱舞するでしょう。「やったぜ! おめでとう戦隊ヒーロー」と。

でもそうはなりません。子供が感情移入しているのは正義が悪を退治するという部分です。そこを放置して7億円と言われても困ります。

「戦隊ヒーローたちはもう悪と戦うのをやめて、今後は7億円を開業資金に寿司屋を始めるようです。来週からはヒーローたちが寿司屋の経営を頑張る様子を放送します」とか言われたら「ふざけるな!」となります。

寿司屋の経営が成功しようが失敗しようが子供たちにはどうでもいいことなんです。今後は別の新ヒーローが悪と戦うなら、子供たちは慣れ親しんだ旧ヒーローよりそっちを見たがります。

キャラクター自体に感情移入しているワケではないんです。

だから冒頭でもいったように観客に近い年齢とか境遇とかは、あまり意味がありません。もしそれが抜群の効果をあげるなら戦隊ヒーローは大人5人組ではなく小学生5人組にしないといけなくなります。でもそんな戦隊ヒーローが果たして魅力的でしょうか。

子供は自分とはほど遠い存在の戦隊ヒーローが大好きです。ほど遠いけれど正義が悪を倒すという部分に共感します。

映画や小説もこれと同じです。観客は主人公に自己投影などしてくれません。まずこういう大前提をおぼえておきましょう。

子供は戦隊ヒーローが大好きだけど、感情移入するのは正義が悪者を倒すという構図に対してです。これは勧善懲悪という大昔から使われている定番の構図です。

主人公や舞台設定を無理に観客に近い境遇に設定する必要もありません。たとえば物語の舞台をハンガリーとかアルゼンチンなど子供に馴染みのない国に設定しても感情移入は起こります。

「外国のオッサンたちが聞いたこともない言葉をしゃべっている。なんだか自分には遠い存在だ」そう感じていても、そんなオッサンたちが悪者に襲われ始めたら急に感情移入が起こります。そこにハンガリーの戦隊ヒーローが登場したらやはり同じように「正義がんばれ、悪は滅びろ」と応援します。

悪と戦いもしない日本の小学生の物語よりも、悪者に襲われるハンガリーのオッサンたちや、悪を成敗するハンガリーの戦隊ヒーローの方が子供の心をとらえます。

重要なのは観客に近い境遇の主人公を用意することではありません。感情移入を呼び起こす戦いの構図を作ることです。

構図を提供されると観客は物語がどうなって欲しいかを考えます。「戦隊ヒーローに勝ってほしい。悪は滅びてほしい」みたいに。

平和に暮らす人たちがいる。でも人々を攻撃して私利私欲を貪ろうとする悪者がいる。そんな悪者を退治しようと勇敢に立ち向かうヒーローがいる。

こうした構図を提示されたとき、テレビの前の子供たちは正義が悪を倒すことを必ず望みます。本能的に「悪者は危険である」と受け取るからです。本能的に恐怖心をいだきます。

「こんな奴らが世に中にのさばっていたら大変だ」という気持ちがわき起こってきて、悪は絶対滅びないといけないと感じます。この気持ちこそが感情移入です。誰か悪者を倒してくれと願い、悪に立ち向かう戦隊ヒーローを応援します。

今度は映画『ロッキー』で考えてみましょう。人生をあきらめている男にタイトルマッチという大チャンスが到来します。このチャンス到来をきっかけにしてロッキーの止まっていた時間が動きはじめます。

この構図を提供された観客は「ロッキーに頑張って欲しい」と感じます。あきらめていた人生を取り戻して欲しいと。

これも理屈ではなく本能からくる願いです。人生をあきらめてしまっていることに対して人は嫌悪感をいだきます。変な枠にとらわれて自分をあきらめてしまうことに対する恐怖心ですね。その枠が恐いわけです。言ってみればその枠が悪です。

チャンス到来をきっかけにしてロッキーの止まっていた時間が動きはじめます。観客は成功を願わずにはおれなくなります。せっかくチャンス到来で事態が動き始めたのだから途中であきらめたりせず、ぜひ人生を取り戻して欲しいと願います。

感情移入の完成です。

「こうなって欲しい」という願いを持たせれば、観客は感情移入という状態になってくれます。やるべきことはこれです。観客に願望を持たせること。

主人公を好きになってもらうことが感情移入だと勘違いしている人が多いので間違わないようにしてください。

主人公に共感してもらうとか自分に近いと感じてもらうとか、そういうものが感情移入ではありません。感情移入はそのさらに一歩先にあります。「そんな主人公にどうなって欲しいのか」作者はこの部分まで読まないといけません。世間一般で思われているよりも感情移入はもう一段深いところにあります。

「子供たちは戦隊ヒーローを好きになってくれた。これが感情移入なのでは」そう勘違いしている人が非常に多いです。しかし感情移入はキャラクター自体に発生するものではありません。「子供たちはその戦隊ヒーローにどうなって欲しいと願っているのか」までを考えないといけません。いくら戦隊ヒーローを好きになってもらっても、寿司屋の経営なんかしていては子供たちに見向きもされなくなります。「正義が悪を成敗する」という戦いの構図が必要です。子供たちは戦隊ヒーローに悪を倒して欲しいと願っているのだから。

この気持ちが感情移入です。観客は戦いの構図に対して「こうなって欲しい」という願望を持ちます。

キャラクター設定ばかりゴチャゴチャいじっていても感情移入は生まれません。戦いの構図を必死に考えるようにしましょう。

感情移入のもとになるのは悪

感情移入を生むのは興味深い戦いの構図です。それを見せられた観客が「こうなって欲しいな」と望ましい結末を感じてくれたら感情移入が発生します。

そしてこれを生むもとになるのは悪の存在です。

ハリウッド映画は単純な娯楽作品にもちょっとした勧善懲悪をわざわざ入れてきたりします。災害から身を守るようなパニック映画であっても、橋の手抜き工事のせいで主人公たちがピンチに陥るとか、みんなで力を合わせないといけないのに自分だけ助かればいいと思っている悪人がいるとか。

そうやって悪を出して感情移入を発生させています。

観客が感情移入してくれるかどうかは悪が存在しているかどうかで決まります。ストーリー中に悪が出てくれば観客は本能的に危険を察知して「こんな奴らがのさばっていたら大変だ」と感じ、悪の根絶を願います。悪が出てこないストーリーには何の興味も持ってくれません。

たとえば、主人公が女性に恋をしたとします。

これだけでは感情移入は起きません。主人公が意を決して告白すると彼女はOKしてくれました。休日にデートしました。「あー楽しかった」めでたしめでたし。そんな未来しか予想できないからです。本能を刺激する悪が出てきません。

感情移入を生むためには本能を刺激する必要があります。たとえば親から結婚相手を決められているとか。

主人公は財閥の御曹司で、地元議員の令嬢と結婚させられそうになっています。でも主人公はそれを当たり前のように受け入れています。しかしある日、街で一般女性に恋をしてしまう。

観客はこうした戦いの構図を見せられると、親が決めた金のためだけの結婚相手に危険を察知します。このまま結婚したら絶対不幸になるぞと。

「親が決めた結婚なんか受け入れないで欲しい。好きになった一般女性と結ばれて欲しい」観客は必ずそう願います。

主人公が悪というパターン

悪の存在が感情移入を生みます。

だから悪者を登場させて主人公と戦わせればいいわけですが、すべての物語がこうした単純な勧善懲悪という構図になっているわけではありません。

悪役が登場しないストーリーもあります。むしろ映画や小説ではこちらのパターンの方が王道です。悪者は出てこないけど、それでもしっかりと感情移入を発生させています。

これは主人公が悪というパターンです。

とは言っても主人公が極悪非道の悪いヤツというわけではありません。主人公が何かを間違っているパターンが王道として存在します。それが戦いの中で正されていきます。

『ロッキー』などはまさにこの主人公が悪というパターンの代表。ロッキーは自分の人生をあきらめてしまっています。これを見せられた観客は「あきらめるな。自分の人生を取り戻せ」と願わずにはおれません。本能的に危険を察知します。あきらめている姿を悪と感じます。

ビンボーな主人公が社長の娘と結婚できるかも、みたいなストーリーの場合も同じです。これだけではまだ観客は「こうなって欲しい」という願望はいまいち持てません。

社長の娘と結婚できそうだけど、実はビンボー時代から付き合っている恋人もいる。でもその娘の妊娠が発覚して邪魔になってきたので殺そうと考えている、みたいな悪が出てくると感情移入が発生します。

邪魔になったからといって殺さないで欲しい。観客は必ずそう思います。そして主人公が裁かれることを願ってやまず、ストーリーに引き込まれていきます。

間違っている姿を見せられると、観客はそれが正されることを必ず願います。

だからちゃんとオモテと裏の2枚合わせにして間違いが正される話にしておけば、感情移入は起こります。

承の前半は主人公が間違ったことをして苦しむパートですが、わざわざこうして主人公が間違う様子を見せるのは悪を見せて感情移入を起こすためです。

承の前半を抜くとどんな名作でも駄作になるのは、悪が描かれない話になってしまうからです。

間違っている主人公の姿をちゃんと見せましょう。

うばすて山に母親を捨てに行こうとしている姿とか、

年上女性を好きになって必死に大人ぶって背伸びしている姿とか、

今日中に結婚しないと遺産がもらえないことを知って慌てて花嫁探しを開始する姿とか。

こうしたものを見せられた観客は間違いが正されることを必ず願います。そして正されたあとに出てくるであろう愛の光景や努力が報われる光景を楽しみにして最後まで映画を観てくれます。

主人公より脇役とか悪者の方が人気を得てしまうの場合もこれが原因です。

前のページ「なぜ主人公に弱点・欠点が必要なのか」でも書いたように、脇役や悪者の方が敗者として描かれていたら、観客はそちらに興味を引かれてしまいます。

脇役や悪者の方こそが「間違いが正される構図」になってしまっていて、敗者として描かれている。こうなると品行方正で何も間違っていない勝者な主人公は興味の対象外に。

主人公が大活躍する姿は描いたけど、間違いが正される姿は書けていない。そんな状態にならないよう気をつけましょう。

悪が観客の救われなさを揺さぶる

悪が感情移入のもとです。これがものすごく効くのは、人間誰しも救われなさを抱えて生きているからです。

悪がうまく作れず、うまく機能させられない場合は、人が抱える救われなさと関係ない浅い悪を作ってしまっています。なぜ悪が観客の心を揺さぶるのかという基本原理をちゃんと理解しておきましょう。これがわかれば救われなさを刺激する悪をちゃんと作れます。

みんな誰しも自分の人生や世の中に納得いっていません。まずこれをしっかり認識しましょう。

仕事を頑張っているはずなのに他の人たちばかり出世していきます。自分の方が彼女を愛しているのに、彼女は結局高台に住むお金持ちと結婚してしまいます。

悪は成敗されないといけないはずなのに、のさばっています。

みんな多かれ少なかれこうした救われなさを抱えて生きています。残酷な現実に納得いっていません。人生に憤りをおぼえています。「本当はこうじゃなきゃいけないのに」という気持ちを抱えながら生きています。

だから観客は敗者の物語を欲しがるし、物語に理想郷を求めます。

ヒロインが愛か金かで迷っていたら「ビンボーだけど本当に愛してくれている主人公の方を選んであげて欲しい」と必ず願います。観客の救われなさにモロに刺さる戦いの構図だからです。

感情移入を生むための大きなポイントです。観客の救われなさに刺さる戦いの構図を用意しましょう。

サッカー部の主人公がただ女子マネージャーをデートに誘うだけのストーリーは感情移入を生みません。観客の救われなさを刺激しないから。救われない気持ちを刺激するような悪が出てこないので「本当はこうじゃなきゃいけない」という気持ちをまったく揺さぶってくれません。

告白したらOKしてくれました。次の休日にデートしました。「あー楽しかった」めでたしめでたし。そんな話を見せられて何が救われるというのでしょうか。

観客には愛が報われなかった苦い経験があります。そしてそんな現実に憤っています。納得いっていません。

この救われない気持ちにヒットする戦いの構図を用意しましょう。主人公はヒロインに恋しているけどビンボーで、ライバルの男は高台に住む金持ちです。こういう戦いの構図を見せられたら観客は、悪が成敗されて理想郷が到来することを望み、ストーリーに引き込まれていきます。

救われなさを刺激しないような話ではダメです。

主人公がただ強敵と戦うだけの話では感情移入を生みません。父親を殺されたかたき討ちのストーリーなどにしましょう。誰だって悪にいいようにやられて復讐の機会すら与えられないまま生きています。かたき討ちが昔から人気があるのはこの救われなさにズバッと刺さるからです。

感情移入を生むには観客の心にある救われなさを揺さぶる必要があります。悪を用意するのはそのためです。

悪を必ず用意しましょう。そしてその悪が観客の抱える救われなさをどれだけ刺激するかを計算しながらストーリーを作っていきましょう。

ターゲット層に近い設定も無駄ではないが

親しみを持ってもらうために、ターゲット層の境遇に近い主人公を用意するのは昔からある常套手段です。

しかしこれは感情移入の効果という面ではあまり期待できません。わかりやすくする効果や親しみやすくする効果が高いだけ。

たとえば小学生に政治の話とか難しいですよね。55歳の政治家が67歳の政敵と派閥争いを繰り広げるストーリーなんて子供にはわかりません。大臣と幹事長のどちらが偉いかも子供はわからないし、小選挙区と比例区の違いもわかりません。わからないから感情移入もできません。

でも主人公を小学生にして、校内でグループ同士が対立するストーリーにすれば、わかりやすくなる効果は抜群です。

逆に言うと、わからせることが出来るならオッサンの話であっても感情移入させることができます。55歳のハゲのオッサンが主人公のストーリーであっても、単純な勧善懲悪ものなら一発でわかってもらえて子供も感情移入してくれます。

ターゲット層に近い主人公に設定するのは間違いではありません。できるかぎり近い境遇にするべきでしょう。多少の感情移入効果も期待できます。しかし本当に大事なのはそこではありません。

「こうなって欲しい」という願望を観客に抱かせるような戦いを用意すること。とにかくこれが大事です。これで感情移入してもらえるかどうかが決まります。

いくらターゲット層に近い設定にしても、観客の抱えている救われなさを刺激しないようなつまらない戦いでは誰も感情移入してくれません。

「主人公は自分と同じ高校生で、しかも同じ関西人じゃないか。部活も同じサッカー部だ。レギュラーになれないことで悩んでいるのも一緒だ。まるで自分みたいだ。親近感がわくな」そんなふうに思ってもらえたのに、怪我した足を病院に通って治すだけのストーリーだったら感情移入などしてもらえません。

「怪我しているのか。頑張れ主人公。ちゃんと怪我が治るかドキドキするな」などとワクワクしてくれる人はいません。怪我が治るクライマックスシーンでも「やったぜ関西人。おめでとう!」などとは絶対に思ってくれません。

明暗を分けるのは戦いの構図です。

たとえば55歳のオッサンが無実の罪で逮捕される話のように、感情移入を生む戦いの構図が必要です。刑事たちが逮捕に来る直前に間一髪で家から脱出した主人公は、日本中を逃げ回りながら自分を落とし入れた真犯人を探し出そうとします。

こうした単純な悪を加えるだけでも応援したくなる気持ちは発生します。主人公は55歳のハゲのオッサンです。それでも小学生や高校生だって「どうなるのだろう」とハラハラドキドキしながら最後まで観てくれます。

感情移入はキャラクターに対して発生するものではありません。戦いの構図に対して生まれてくるものです。

関連記事:主人公の作り方

主人公に感情移入させる方法とその重要性
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主人公の作り方の解説はこれで終了です。

次のページからはストーリー設定について解説します。

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