面白いストーリーの作り方

物語のテーマはメッセージのことではない

目次

小説や脚本におけるテーマとは、メッセージのことではありません。よくある勘違いなので注意してください。

テーマと題材を混同してる人もよくいます。

この2つはテーマについて特に多い思い違いです。この機会にちゃんと修正しておきましょう。

物語はメッセージが苦手

テーマを作者のメッセージだと思っている人が多いのは国語の先生のせいでしょうか。

「この作品で作者が伝えたいことは何か?」みたいなことを国語の先生がよく言っていました。

でも物語には作者の言いたいことなんて入っていません。歴代の名作群を見たら一発でわかります。後世に残るような傑作には作者の主義主張など含まれていません。

名作に組み込まれているのは見えない人生の本質です。それをストーリーによって浮かび上がらせているだけ。

「世界中のみんなに伝えたい作者からみなさんへの大切なメッセージ」などは含まれていません。

そもそもストーリーというものはメッセージを伝えることには向いていません。非常に苦手としています。ただの作り話だから当然といえば当然です。

たとえば主人公が頑張って勝っても、努力の大切さを伝えたいがために勝ったみたいな感じになります。

恋愛ものでヒロインが金持ち男ではなくビンボーな主人公の方を選んでも、お金よりも愛が大切というメッセージを伝えるためだけにそうなったように感じます。

作中でメッセージを伝えようとするとすべてが嘘くさくなります。

物語というものはメッセージを非常に苦手としていることはおぼえておきましょう。しょせんは作り話です。作者のさじ加減でどうとでもなるものです。

メッセージを伝えたいならドキュメンタリーの方が100倍得意です。

物語というものはメッセージではなく人生を表現することに向いた媒体です。

戦争映画などが一番わかりやすい例です。戦争反対を声高に叫んだ映画ほど残っていません。名作といわれる戦争映画ほど戦争を通して別のテーマが描かれています。

ディアハンター 映画

たとえば『ディアハンター』は世界の警察官として頑張ってきたはずのアメリカに突きつけられた現実というテーマが描かれています。ベトナム戦争に負けて、しかも世界中の誰からも評価してもらえないという。いったい何のためにやってきたのか。この先どこへ行けばいいのか。

そういう作品です。ラストシーンで登場人物たちがアメリカ国歌を歌って終わるのはこのためです。描かれている内容が戦争反対とはちょっと違います。

『プラトーン』なんかも反戦を声高に叫ぶ映画ではありません。アメリカがなぜベトナム戦争に負けたのかを示した映画です。アメリカが滅び去る様をひとつの小隊の崩壊に重ねて描いています。

プラトーン 映画

日本人にはおなじみの『火垂るの墓』なんかは、少年が死に直面することがテーマになっています。死というものがあることは知っていてもそれを実感するのは難しいことです。それを実感する話になっています。

少年にかぎらず死ってなかなか実感できません。人間の脆さや呆気なさなどそう実感できるものではありません。なんなら自分だけは死なないのではとほとんどの人は思っています。死なんて本当にあるのかぐらいに感じているのが普通です。

『火垂るの墓』の少年もこれに近い感覚で生きてきたと思うのですが、ストーリー中で死と対峙させられます。母が死んだときはまだ死を受け止めきれていません。しかし「妹の様子がおかしい。危ない」そう知ったときに少年は死というものをはじめてリアルに実感します。そして死が迫ってくることを感じながらなんとか妹を助けようと奔走します。

しかし気づくのが遅すぎました。死はその前からずっと忍び寄ってきていました。助かるチャンスは何度もあったはずなのに、裕福な家庭に育った世間知らずのおろかな少年はそれに気づかず、破滅へと向かっていきます。

少年が間違った行動をするたびに死が一歩一歩忍び寄ってきます。『火垂るの墓』を観た人が恐怖を感じるのは、死が迫ってくることをリアルに実感させられるからです。二度と観たくないと思う人もいるし、トラウマになる人もいるし、子供に観せたらたいてい魂を抜かれたような顔になるし。

少年がおろかな行動をするたびに観客は「それをやったらマズイぞ」と何度も思わされます。そのたびに死が近づいてくる足音を実感する仕組みになっています。

毎年のようにテレビで放送される『火垂るの墓』ですが、飽きずに何度も観てしまうのは戦争が見たいからではありません。死ぬはずのない裕福な兄妹が死んでしまうのを見るためです。人間は脆いのであっけなく死にます。そんな当たり前の事実が戦争という極限状態の中で露呈してしまうのを見るためです。

子供の死を扱ったストーリーというのはかなりの拒絶感を生みますが、戦争を題材にすることでその心理的抵抗を緩和しています。そこにこの映画の価値があります。

火垂るの墓 アニメ映画

物語はメッセージが苦手です。もう二度と戦争なんて起こしてはいけないというメッセージを伝えたいのなら、ノンフィクションのほうが断然得意としています。ドキュメンタリーフィルムを見たほうがそうしたメッセージがちゃんと伝わってきます。

そもそも物語にメッセージとか作者の言いたいことを込めても、作品が面白くなる効果はまったくありません。

たとえば「男女の間に友情は成立するのか」みたいな答えの出ないことに対して、ストーリーの中で自説を力説されても困ります。「男と女でも友情は成立する!」と声高に叫ばれても「ああそうですか」としか思いません。

「作者の言いたいことに感動した」みたいなことは起きません。「次回作では作者は私たちにどんなメッセージを届けてくれるだろう」などと期待してくれる観客もいません。

メッセージは面白さや感動などを生み出してはくれません。

それでもどうしても伝えたいことがあるなら、作り話でしかない物語ではなくノンフィクションでやるべきです。

物語におけるテーマの役割は、人生の本当の姿を描くことです。これが力を持っているのはストーリーを格段に面白くするからです。

『ロッキー』だってただ頑張って練習して、ただ試合で頑張るだけの話では全然面白くありません。しかしあきらめていた人生を取り戻すというテーマが加わると、とたんに輝きはじめます。

ストーリーにわざわざテーマを入れるのは面白くなるからであって、何の力もないメッセージを込めても意味がありません。それこそよく入門書などに書かれている「軸がブレないようにするため」ぐらいしか効果がありません。

主義主張やメッセージを語ってもストーリーを面白くする効果はありません。しかも物語はメッセージを非常に苦手としています。面白くなるどころが逆にメッセージのせいでストーリーがわざとらしくなり、一気に破綻してしまいます。

世間では題材とテーマが混同されている

メッセージと並んでよく勘違いされているのがテーマを題材のことだと混同すること。

テーマと題材がごっちゃになってしまっている人がよくいます。

「部活をテーマに俳句を作ってください」とか国語の先生が言ったりします。「夏をテーマに写真をいくつか撮ってきました」みたいな言い方もします。一般的にテーマという言葉は題材と同じ意味で使われています。

そのせいでストーリー作りにおいても、テーマと題材が同じものを指していると勘違いしがち。

「心に傷をかかえる悪者をテーマに脚本を書きました」とか、「三角関係がテーマです」とか、「テーマは爽やかな野球マンガです」とか。

でもこれ全部ただの題材ですよね。汗くさくない爽やかな野球マンガにしようと考えるのはいいのですが、でもそれってただのコンセプトですよね。

その爽やか野球マンガを通してどんなテーマを描くのかを考えないといけません。

心に傷をかかえる悪者を題材にストーリーを作るなら、そんな彼を通してどんなテーマを描くのかを考えないといけません。

三角関係の話なら、その模様を通してどんなテーマを描くのかを考えないといけません。

それが物語です。題材を使ってテーマを描いていきます。題材しかないと主人公がただ頑張るだけの話で終わってしまいます。

題材やコンセプトがテーマのことだと思い違いしているケースは非常に多いので注意してください。

世間的に使われているテーマという言葉と、ストーリー作りにおけるテーマは全然別物です。

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