承の前半は主人公が間違ったことをして苦しむパートです。
物語とは結局のところ間違いが正される話のことです。だから間違っている姿は必ず描いておかないと始まりません。
間違ったことをしているのだから当然目的は達成されず、主人公は悩み苦しみます。「こうやれば目的は達成できる」と安易に考えて行動した主人公の前に現実が立ちはだかり、思惑がことごとく外れる感じに。
間違っている姿をしっかり見せることで観客は本能的にそれを悪と感じ取り、その間違いが正されることを熱望します。
これが感情移入のもとになります。間違った姿をしっかり見せて「こうなって欲しい」という願望を強化していきましょう。
人生をあきらめている男にタイトルマッチのチャンスが到来する話なら、そのあきらめている姿をまずちゃんと見せないといけません。
いきなり正しい行いを始めてしまったのではすべてが台無し。前ページで紹介した松本清張の『張り込み』でいえば、新米刑事は「こんな女のところに犯人は来ない」と思ってないといけません。
間違いが正されるのは承の後半以降です。承の後半になってやっと新米刑事も「もしかして来るのではないか」と思いはじめます。
それまではしっかりと間違っていてもらわないといけません。承の後半に入るともう間違っている姿を見せるチャンスはありません。承前半で悪をしっかりと見せておくこと。それによって感情移入を強化すること。
これによって間違いに気づくきっかけとなるシーンや、「来るのではないか」と感じながら張り込むシーンが面白くなります。
主人公が間違ったことをするのは何かを見落としているからです。
単純な先入観や、人間の弱さや、あさましい欲望など、人間のそうした不完全さが見落としを引き起こしています。
これを承前半ではしっかりと描く必要があります。
つまり、主人公だけの間違いではなく、人間みんながやっている普遍性のある間違いでないといけないということ。
主人公だけがやってる間違いならば、それはただの個人的な失敗です。そんなものに観客は興味など持たないし、それが正されることも望みません。勝手にしてくれとしか思いません。
観客が主人公の間違いを見せられて心穏やかでいられなくなるのは、それが人間みんなに共通する間違いだからです。そこにはみんなが抱えている救われなさと、理想郷を夢見る気持ちが含まれています。
テーマをちゃんと構築できるかどうかはここに懸かっています。人生をちゃんと出現させるための重要ポイントです。
誰だって人生が見えていません。世の中がどうなっているのかわからないまま生きています。これがテーマのもとです。物語はこれについて語るものです。
松本清張『張り込み』の新米刑事も人生が見えていません。そのせいで間違えます。地味で冴えない元恋人を見たとき「ただのオバさんじゃないか」と仰天します。こんな地味で冴えない女の所に犯人が来るとはとても思えないと。
でもこの間違いは新米刑事だけのものではありません。観客も同じように思います。「もっと華やかで魅力的な美女が出てくると思った」と。
人間の価値や人と人とのつがりを見落としているんですね。
松本清張『張り込み』はこの部分を承の前半でしっかりと描いています。だから後半からの展開が盛り上がります。
別の例をあげれば『アルジャーノンに花束を』の主人公の間違いもわかりやすいので勉強になります。知的障害者の主人公が「頭がよくなる手術を受けないか」と誘われる話です。
主人公は喜んでこの手術を受けます。
主人公は間違っているんですね。とにかく頭が良くなれば幸せになれると。お金さえあれば幸せになれるみたいな勘違いとよく似ています。手術前は知的障害者だったために世の中のことがよく見えていなかったわけです。まるで子供のように。
しかし誰だってこうした間違いをしています。立派な学校に入れば幸せになれると思っているし、いい会社に就職すればもう大丈夫だと思ってしまいます。
誰だって人生のことなんて正確にとらえきれていません。
『アルジャーノンに花束を』では承の前半でこうした主人公の間違いをたっぷりと見せます。手術を受けて賢くなった当初はまだ夢の時間です。主人公は浮かれており、幸せなひとときを過ごします。
しかしストーリーが進むと主人公は実情を理解しはじめます。自分が実は職場でバカにされていたことや実は親に捨てられたことなんかに気づきます。さらには頭が良くなりすぎたせいで主人公はだんだんまわりを見下すようになり、他の人たちとの関係がこじれていきます。
さらには、手術によって頭が良くなるのは一時的なものだったことが判明。せっかく頭脳明晰になったのに退行がはじまり主人公の知能はどんどん低下していきます。そうした中で主人公の心境にも変化が生まれていきます。
『アルジャーノンに花束を』はこのように知性や人間としての温かみがテーマになっています。誰もが見落としているものを描くからこそいいストーリーになります。
承の前半は主人公が苦しまないといけません。そのためにはいろいろと障害を用意します。目的を邪魔するものが出てくるので主人公は苦戦するし、観客はハラハラドキドキします。
しかし注意しておかないといけないのは、感情移入している物をちゃんと邪魔しないといけないという点。
「主人公を邪魔すればいいのか。目標を妨害するような障害を用意すればいいんだな」と安易に考えると意味のない妨害行為をやってしまいます。
新米刑事たちの張り込みを妨害するために台風がやってくるとか。朝起きたら風邪で熱があったとか。ナイターを見たかったのに張り込み対象の女性が出かけるようなので尾行しないといけなくなりナイターが見れないとか。
しかしこれ、観客の感情移入とは関係ない妨害ばかりですよね。
やらないといけないことは感情移入を妨害することです。「こうなればいいな」と思っているのに障害のせいでそうならない可能性が出てくる。これによって観客は「大変だ。負けてしまうぞ。頑張れ主人公」とハラハラドキドキしてしまいます。
だから台風とかではなく、見張っている女性がいかにつまらない女かをしっかりと描かないといけません。仕事が終わってどこかに遊びに行くのかと思ったらただスーパーに寄ってお惣菜を買っただけだったとか。つまらない地味女ぶりを描くことで観客も「やっぱりこんな女の所には来ないのでは」と疑心暗鬼にかられます。
犯人が出入りしていたキャバクラの方で動きがあって、犯人はやはりそちらの華やかな美人の方に現れるかもみたいな妨害でもいいです。
とにかく感情移入に対する障害じゃないと機能しません。
張り込みをして犯人を捕まえるというのはオモテストーリーの目的です。基本が出来ていない人はこちらばかり妨害してしまいます。しかし重要なのは感情移入の妨害で、これは裏ストーリーを妨害するということ。愛のせいで捕まって欲しいという部分を邪魔しないといけません。
「そうか障害物を用意すればいいのか。タイムリミットなんかが効果的らしい」そういうふうに表面的な演出やテクニックばかり知識として詰め込んでも意味がありません。基本が出来ていないなら何をやっても無駄。機能させることができません。
承の前半でやらないといけないことは、悪をしっかり描いて感情移入を強化すること。その感情移入を邪魔してハラハラドキドキさせること。
承の前半は主人公に間違ったことをやらせて葛藤させ、先々に暗雲が立ち込めるようにします。
ただしひとつだけ注意点があります。
主人公が苦しむシーンのみで承の前半を埋めてしまうのは良くありません。それでは観客は嫌気がさします。強弱が付かず単調にもなります。苦しむ姿に観客も慣れてきて効果もどんどん薄まっていきます。
緩急を必ずつけましょう。
そのためには喜ばしいエピソードもいくつか用意しておきます。主人公にとって良い出来事と悪い出来事が交互に起きるのが理想です。
『ロッキー』もエイドリアンとの交流を良い出来事として効果的に挟んでいます。
『アルジャーノンに花束を』も恋愛エピソードを入れて緩急をつけています。
承の前半は主人公が間違ったことをして苦しむパートですが、ちょっとした明るい出来事も必ず挟んでいきましょう。
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