面白いストーリーの作り方

主人公は最後どうなればいいのか

目次

結末を無理にハッピーエンドにする必要はありません。勝利だけをただ手に入れて終わっても意味は生まれません。だから主人公は別にオモテのストーリーでは負けてもいいんです。

大切なのは裏ストーリーの目的をちゃんと達成すること。観客は裏ストーリーに対して「こうなって欲しい」という願望を持ちます。その感情移入している部分を叶えてあげればいいだけ。

戦いを通して主人公が自分の殻を打ち破ることが大事です。そうすればストーリーにちゃんと意味が生まれるし、テーマもまとまります。

当初の目標とは違うものを手に入れる

実は物語というものは、当初の目的が果たせないまま終わります。

ロッキーもチャンピオンに勝つために戦いましたが、最後は結局負けてしまいます。でも最後まで戦い抜きました。みじめな人生を脱出して自分の人生を取り戻しました。

チャンピオンに勝つという目標に向かって頑張っていたロッキーですが、その目的とは違うものを手に入れて物語は終わります。

現実は厳しいものです。努力して必死に頑張っても結果は簡単に出てくれません。だから物語の終わり方も同じようになります。30歳の3流ボクサーが世界チャンピオンに勝てるはずがありません。善戦できただけでも立派です。

物語というのはただの作り話です。それだけに説得力や納得感が必要になります。だから主人公は負けます。それが現実的だから。

『ロッキー』という映画は、3流ボクサーがタイトルマッチに挑戦するという現実味のない話です。このままいけばただの嘘くさい話で終わります。しかし最後負けることによってちゃんと現実味を持たせることができます。

つまり、存在するはずもない甘っちょろい理想郷としてスタートした話が、最後はちゃんと現実の話に戻ってくる感じに。

甘っちょろいチャンス到来
無名の3流ボクサーが世界タイトルに挑戦できることに

 

現実的な結果に
試合に負ける
でも人生を取り戻すことができた

物語というのはこのように、ありもしない理想郷を使って本物の人生を描く形になっています。

だから主人公は最後理想郷にはたどり着けません。負けるというよりは「理想郷にはたどり着けなかった」という受け取り方のほうが近いでしょう。理想郷にはたどり着けないのだから当初の目的は達成できません。

しかし必死に戦ったのでその分は確実にパワーアップしています。理想郷にはたどり着かなかったけど、戦ったことによって人生に変化を与えることぐらいは出来ます。

物語というのは、間違いが正される話のことです。けして勝つ話のことではありません。頑張ったけど負けた。でも自分を枠にはめて人生をあきらめていた部分は正された。そういう結末に至ります。

だからストーリーの結末で主人公は当初の目的と違うものを手に入れて終わります。

東大に合格するため必死に受験勉強を頑張った。でも現実は厳しいので受からなかった。 でも自分を変えられた。それがストーリーの基本的な形です。

受験勉強を頑張ったので確実にパワーアップはしています。東大は落ちたけど早稲田あたりには受かっていたりします。

主人公は負ける必要がある

『ロッキー』は最後試合には負けて終わります。

勝利したほうがカタルシスが大きいように思えますが、実際は逆です。勝ってしまったらストーリーが成立しなくなり機能不全を起こしてしまいます。

物語はオモテのストーリーと裏ストーリーの2枚合わせだとずっと解説してきましたが、結末でまとめないといけないのは裏のストーリーの方です。こちらが重要。

ロッキーにはこの2つの目的がありました。重要なのは裏ストーリーの目的です。ロッキーは最後まで試合を戦い抜き自分の人生を取り戻しました。つまり裏ストーリーの目的は達成したわけです。

裏ストーリーではちゃんと勝利しています。

だからカタルシスがちゃんと生まれます。観客が感情移入しているのもこちらの裏ストーリーの方です。観客が望んだのはロッキーに人生を取り戻してもらうこと。

そこに更にオモテストーリーの勝利までかぶせてくる必要はありません。必要ないどころか邪魔になります。

映画を通して見せたいのは人生を取り戻す戦いの方です。裏ストーリーの方です。観客の気持ちを強く引きつけるのもこの「間違いが正される話」の方です。

最後まで戦い抜いたことでロッキーの間違いは正されました。ロッキーは当初自分の人生をあきらめていました。しかしそんな男がストーリーを通して「はい上がろうとする気持ち」を獲得することができました。これは試合に勝たないかぎり得られないというものではありません。試合の勝敗は獲得に関係なし。

だから試合には勝たせる必要がありません。クローズアップしたいのは「人生を取り戻した」という裏ストーリーの勝利です。試合にまで勝ってしまうとそっちの勝利の方が人生への影響が大きいため、裏ストーリーの勝利が隠れてしまいます。

だからオモテストーリーの目的であるタイトルマッチにまで勝利してしまうと、逆にカタルシスが弱まります。勝利をごてごて追加しすぎても意味がありません。

たとえばロッキーが試合にも勝って、さらに宝くじで7億円も当たったとしたらどうでしょう。さらには全米一の美女からも結婚を申し込まれ、なぜか未来を予知できる超能力も使えるようになったとしたら。

勝利の大集合ですごいウルトラハッピーエンドに思えます。観客はすごいカタルシスを味わえるはず。

でも誰もカタルシスなど感じてくれません。

夢オチと同じです。ストーリーの途中で起きたことを全部否定してしまうからです。『ロッキー』を見たことがない人にクライマックスシーンだけをいきなり見せるのと同じです。

ストーリーというものは起承転結から承の部分を抜くだけでどんな名作でも駄作になります。承の部分で戦いの意味が描かれていくからです。それがなくなってしまうとクライマックスの勝利にも意味が見い出せなくなります。だから勝利には承で起きた出来事との関連が絶対に必要です。

7億円とか、全米No.1の美女とか、予知能力獲得にはそれがありません。だからそんな勝利を見せられても観客の心は動きません。

やたらと勝利を大集結させればいいというものではありません。

裏ストーリーの勝利だけで感動は生まれます。オモテストーリーの勝利まで足してしまうと、これがちゃんと機能しなくなって逆にカタルシスが発生しない結果に。

だから主人公が負けて終わることにはちゃんと意味があります。オモテストーリーは負けてもOK。重要なのは裏ストーリーの勝利です。

ストーリーの結末を思いつかない理由

「ストーリーの結末がうまく思いつかない」そう悩んでいる人はよくいます。

この思いつかない原因というのは実はかなり深刻です。「こうなればいいな」という願望を観客が持ってくれるような戦いの構図をそもそも用意できていない可能性があります。ストーリーに意味自体がないから作っている本人にも結末が見えません。

結末をうまく作れないのではなく、実はストーリー全体をうまく作れていません。ストーリー全体が弱い。「【転結】クライマックスでは主人公の想いを強く出す」でも解説したように、クライマックスを作れない人は実は承がちゃんと作れていません。それと同じです。

物語は終わりの方へ行けば行くほど、そこに至るまでの展開の影響を受けます。ピラミッドみたいにどんどん積み上がっていく感じ。

結末が思いつかないということは、土台となる下の部分がないということ。何もない空っぽの空間しかありません。そこに一番上の頂上部分だけを乗せようとしています。でも土台がないのだから当然ながら乗りません。

「おかしいな。なぜ頂上部分が空中に浮いてくれないのだろう」と悩んでいるのと一緒です。頂上部分を空中に浮かす努力を1000年続けても絶対に浮いてはくれません。土台から作り直しましょう。

結末が思いつかない人は一度ストーリーの土台部分を確認してみてください。ちゃんと感情移入を生み出せているでしょうか。

「こうなればいいな」と観客に願望を持たせて、最後その通りになればいいだけです。願望も生み出せていないような無意味なストーリーを作ってしまうと「結末はどうすればいいだろう。何も思いつかない」という事態に陥ってしまいます。

観客はハッピーエンドなんか求めていない

ストーリーの結末を作るときにかなり高確率でやってしまう失敗があります。それは安易なハッピーエンドにしてしまうこと。

「とにかく最後主人公が勝てばいいのではないか。幸福が訪れて終わればいいのではないか」安易にそう考えて予定調和丸出しのハッピーエンドにしてしまいます。その結果内容の薄いつまらないストーリーに。

このハッピーエンドの罠は、初心者から中級者へステップアップするためのひとつの難所みたいになっています。

つまずきやすい部分なので詳しく解説しておきます。少しむずかしい話にはなってしまいますが、しかし「物語とは結局のところ何か」という根幹に関わる部分が絡んでくるため、後回しにしていい問題でもありません。ここで一度しっかりと学んでおきましょう。

観客はハッピーエンドなんか求めていません。まずはこの大前提をしっかり肝に銘じておいてください。

別の言い方をすれば、観客は作り話なんかを求めてはいないということ。都合のいい作り物のストーリーなんて望んではいません。

観客は実生活で苦労しているからといって物語に理想郷などを望ではいません。「せめて映画の中だけでも甘い夢物語を」などと現実逃避目的で映画館に足を運ぶ人はいないんです。

映画を観たとき観客は、自分の生きている世界に照らし合わせて「こうなって欲しい」という願望を持ちます。現実を無視したような願望は持ちません。

観客が望んでいるのは現実にのっとった救いだけです。

誰だって人生が思い通りにはならず苦労しています。みんな救われないまま生きています。「本当はこうじゃないといけないのに」と不満を抱えながら生きています。

物語が照らすのはその部分です。その救われなさにドンズバで刺さる光さえあればいいんです。

だから物語には現実と光が両方出てきます。物語の終わらせ方に求められるのはこの2つです。現実と光。

物語というものは「この世界はどうなっていて、その中で人間はどのように生きているのか」それを描くものです。

つまりそれが人生を描くということ。

安易なハッピーエンドをやってしまう人は「主人公がどう生きているか」という部分しか見ていません。だから嘘くさいハッピーエンドにしてしまいます。「世界がどうなっているのか」という部分が欠けています。そのせいで現実を無視したハッピーエンドに。作り物でしかない世界で登場人物たちがあれこれ行動するだけ。

現実と光。両方ともが必要です。

ロッキーも結局は試合に負けてしまいます。これが「現実」です。

でもあきらめていた人生を取り戻すことが出来た。これが「光」です。

名作といわれる映画を思い出してみてください。自分の好きな映画でもいいです。必ず両方出てきます。

『シェーン』だって悪者を倒すけど、結局村にはいられないので去っていきます。

『ローマの休日』も恋は成就するけど結局ふたりは別々の道に。

『忠臣蔵』だって討ち入りによって復讐は果たすけど、その後は全員切腹させられます。

現実は残酷だけど、人間が生きてそこに命があるかぎり必ず輝きがあります。何かしらの価値が存在しています。それを光らせます。光らせることによって生命の、人間の、人生の価値を見せてあげます。それが観客にとっての救いになります。

具体的な方法でいえば、クライマックスで主人公がちゃんと自分の限界を超えればいいんです。観客はその姿に救われます。「物語とは結局何か?」というちょっと難しい話になっているので、小説を書き始めたばかりの人なんかはもっとシンプルに考えた方がいいでしょう。「観客はハッピーエンドを望んでいるわけではない。主人公が限界を超えてくれたらそれで救われる」こういう受け取り方で最初はOK。

観客は結局のところ自分と同じように現実と戦っている人が見たいんです。自分と同じように救われないけど、でも物語の主人公は自分の限界を超え、命の輝きを見せてくれます。観客が望んでいるのはそのささやかな光だけです。

たとえばサッカー日本代表がワールドカップに出場したら、みんなそれなりの活躍を期待します。しかしもしまだ一度もワールドカップに出たことがない国の人ならどうでしょうか。

ワールドカップに初出場

タイやベトナムなどワールドカップにまだ未出場の国はアジアにたくさんあります。そうした国がついにワールドカップ出場を決め、世界を相手に戦います。でも日本が1998年に初出場を果たしたときと同じように3戦全敗で帰ってきても、みんな温かく迎えてくれます。

限界を超えたからです。

「3戦全敗なんて許せない」と怒る人はいません。「優勝しないと感動なんてできない」そう感じる人はいないんです。望んでいるのは限界を超えること。ずっと跳ね返されてきたアジア予選を突破して夢の舞台に立つこと。その殻さえ破ってくれたら人々は救われます。

もし何かの間違いで初出場ながらいきなりワールドカップで優勝してしまったら逆に冷めますよね。

現実をごまかしてはいけません。

観客はハッピーエンドなんて求めてはいません。現実に即した範囲で「本当はこうあって欲しい。本当はこうじゃないといけない」そういう願望があるだけ。努力は報われないといけない、みたいなヤツですね。しかし努力がそう簡単には報われないことぐらい観客は知っています。だから主人公が努力だけで世界一の美女をモノに出来てしまうような結末なんて望んでいません。現実的な救いがあればいいだけ。

ロッキーは試合に負けてもいいんです。人生さえ取り戻せば。自分の殻を破ってくれれば。もっとすごいハッピーエンドにしようと思って宝くじで7億円まで当たる結末にしても「やったぜロッキー!」とは誰も思いません。むしろ全部ぶち壊し。

宝くじを買ったのに7億円が当たらないからといって「救われない」と感じる人なんていません。「宝くじを買った以上は7億が当たらないといけないのに」と憤る人なんていません。

努力しているのに報われないからこそ救われない気持ちになります。ここさえ押さえていたらいいんです。あきらめていた人生をロッキーが取り戻す。それだけで感動は生まれます。7億円なんていりません。全米No.1の美女との恋も必要なし。エイドリアンでいいんです。

織田信長はバッドエンド

ハッピーエンドの罠は根深い問題なので、織田信長を例にもう少し補足説明をしておきます。

観客がハッピーエンドなんて望んでいないことは織田信長を例に考えれば一発でわかります。織田信長は味方の裏切りによって最後は本能寺で死にます。終わり方としては完全にバッドエンド。

でも織田信長の生涯にみんな魅了されます。

若き英雄が革新性によって旧体制を打破していくからです。この戦いの構図を見せられた観客は「この革命児にこそ新しい時代を切り開いて欲しい」と願います。織田信長はその期待どおり室町時代に終止符を打ちます。

しかし「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」といった破天荒ぶりがあだとなり、最後は裏切りによって滅び去ります。現実的な最後を遂げたと言えます。

この現実を感じさせる部分こそが実は非常に重要です。観客の抱える救われなさを揺さぶります。

「織田信長には天下を取って欲しかったのに取れなかった。だから好きじゃない。魅力を感じない」そういう人はいません。むしろ本能寺で散るからこそのドラマチックな人生です。

「この世界はどうなっていて、その中で人間はどう生きているのか」織田信長の生涯はこうした物語の法則にピッタリと当てはまります。革命児として戦乱の時代を駆け抜け、でも最後は現実に飲み込まれていきます。

主人公の生き様には必ず現実が絡んできます。だから物語には必ず絶望が含まれます。世界が残酷に作られているから。主人公は敵とか悪者と戦っているように見えますが、実際は現実と戦っています。このことをわかっていないとちゃんとした戦いは描けません。ちゃんとした敵や障害も用意できません。

結末だって安易なハッピーエンドにしてしまいます。

物語の主人公だって救われなさからは逃げられません。織田信長の死に方にもこの救われなさが出てきます。それが観客の救われない気持ちにまともに刺さります。しかし乱世の英雄として生きたその生命の輝きもちゃんとあります。

現実がもたらす救われなさと、命の輝き。織田信長はこの2つを最高レベルで持っています。

ハッピーエンドしか書けない人は「現実が関わってくる」という部分をもっと意識するようにしてください。織田信長の生涯は一番わかりやすい参考例です。

アメリカンニューシネマ 俺たちに明日はない

アメリカンニューシネマなんかも「観客はハッピーエンドなんか望んでいない」ということを勉強するときには参考になります。

『俺たちに明日はない』をはじめとして、ニューシネマはたいてい主人公が死ぬか負けるかして終わります。ハッピーエンドではありません。でもだからといって観客が「嫌な気分になった。金返せ」と怒ったりはしません。むしろ「これこそが映画だ」と大きな喝采を浴びます。

『俺たちに明日はない』は警官隊の一斉射撃によって蜂の巣にされるという壮絶なラストシーンが待っています。完全にアンハッピーな終わり方です。

それなのになぜ胸に訴えかけて来るものがあるのかといえば、現実と光が両方あるからです。

ボニーパーカーはウエイトレスの職を捨ててクライドと銀行強盗の旅に出ます。退屈でつまらない人生を捨てたわけです。残酷な現実に戦いを挑みました。

『俺たちに明日はない』という映画はその戦いの記録です。みんなが恐れをなして出来ないような憧れの暮らしをしました。そして最後は蜂の巣にされ死のダンスを踊ります。

でも戦った。それだけが光ります。ボニーパーカーは見ることなどないはずだった外の景色を見ました。自分の限界を超えた。これが命の輝きです。

アメリカンニューシネマ いちご白書

学生運動を描いた映画『いちご白書』もニューシネマらしいアンハッピーなラストを迎えます。学生たちは政治や世の中に不満を抱いて学校に立てこもりますが、最後は大人の力に屈します。しかし学生運動の最中で描かれていく恋や友情や成長が光ります。

物語の終焉に必要なものは現実と光です。両方必ず出しましょう。

難病でヒロインが死ぬラブストーリーなら、ヒロインはやはり死なないといけません。「愛の力でなぜか不治の病が治ってハッピーエンド」なんてやられたらそれこそ「金返せ」といわれます。

絶望をごまかしてはいけません。現実を現実のまま書いて、でもその中で主人公がどう生きたかが重要です。

現実どおりヒロインは病気で死なないといけません。でもヒロインも生きていたのだからどこかに必ず命の輝きがあります。恋愛感情でもいいし、死ぬ前に何かやっておきたいことがあるとかでもいいです。観客が望んでいるのはその光だけです。「ヒロインが不治の病だなんて可愛そう。都合よく完治して欲しい」などと現実逃避を求めてくる観客なんていません。

泣かせたい一心で過剰なバッドエンドに持っていく人もいますが、これも基本ができていない証拠です。「ふたりは実は血を分けた兄妹です」などと悲劇を連打しても効果は出ません。現実が立ちふさがったワケではないから。

ふたりの恋の前に現実が立ちふさがらないといけません。この基本がわかっていないと現実と関係ない障害ばかりを連打してしまいます。

アメリカンニューシネマにしても描かれているのは悲劇ではありません。現実です。

安易なハッピーエンドも安易なバッドエンドも効果ありません。必要なのは主人公の目的に対して現実が絡んでくること。その救われなさをしっかりと描きましょう。

どこに命の輝きがあるかもちゃんと探しましょう。

映画を観るときも現実と光がどのように描かれているかをしっかり見るようにしてください。学びの効果が違ってきます。

少しむずかしい話にはなってしまいましたが、やるべきことは単純です。クライマックスで主人公が限界を超えればいいんです。そしてこのページの前半で解説したように、「主人公は負けるけど裏ストーリーでは勝利して、当初の目的とは違うものを手に入れる」という結末にすればいいだけです。

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