小説の書き出しに欲しいのは、かましです。作品に引き込めるようなインパクトのある書き出しにしましょう。
コツは漫画などの引きとほぼ同じです。「どうして?」「どうなるの?」と思わせるのがコツ。
小説の書き出しのコツは単純です。かます。もうこれに尽きます。
ハッタリと同じです。とにかく、かます。
有名小説が実際に冒頭でどのようにブチかましているか、それがどんな効果をあげているか、実例を見ていきましょう。
『アメリカの夜』阿部和重
ブルース・リーが武道家として示した態度は、「武道」への批判であった。
いきなり、かましてきます。意外性のある文章になっているので、読者は「なぜ?」「どういうこと?」という疑問を持ってしまいます。
『深い河』遠藤周作
やき芋ォ、やき芋、ほかほかのやき芋ォ。
医師から手遅れになった妻の癌を宣告されたあの瞬間を思い出す時、磯辺は、診察室の窓の下から彼の狼狽を嗤うように聞こえたやき芋屋の声がいつも甦ってくる。
間のびのした呑気そうな、男の声。
やき芋ォ、やき芋、ほかほかのやき芋ォ。
やき芋屋の声から始まります。呑気で平和な話が始まるように見せかけ、実は深刻なスタートであったという意外性をかまして来ます。
最初の一文をすぐにもう一度登場させますが、読者は違った意味を感じながらやき芋屋の声を聞くことになります。
『セカンド・ラブ』乾くるみ
主役のための特別な通路などは設けられていない。係員に先導されて、一般客もうろうろしている普通の廊下を進む。
意外性のある描写からスタート。何やら良からぬ予兆を読者は持たされます。
大ヒットした『イニシエーション・ラブ』で一躍有名になった乾くるみだけど、書き出しはこちらの『セカンド・ラブ』の方が良い。
『蹴りたい背中』綿矢りさ
さびしさは鳴る。
耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。
冒頭から意外性をかまして来ます。どういう主人公のストーリーが始まるのかを短い描写で端的に表現しています。このほんの短い書き出しで読者は物語世界に引き込まれます。
『ア・ルース・ボーイ』佐伯一麦
ぼくは十七、いま、坂道の途中に立っている。
青春小説らしい書き出しから始まります。「坂道」という言葉がピンチをあらわしています。「平穏な高校生活ではない物語が幕を開けるぞ」そういう感じが強く伝わってきます。
『杳子』古井由吉
杳子は深い谷底に一人で座っていた。
十月もなかば近く、峰には明日にでも雪の来ようという時期だった。
杳子というヒロインとの出会いのシーンを最初の一文に持ってきていますが、その女性とは山登りのときに「深い谷底」で出会ったと表現しています。
精神を病むヒロインとの恋愛を美しくも残酷に描いた小説です。その予兆を書き出しからしっかりかまして来ます。
『暗い鏡の中に』ヘレン・マクロイ
校長のライトフット夫人は張出し窓のそばに立っていた。「おかけなさい。クレイルさん。残念なお知らせがあります」
教師である主人公は校長室に呼ばれ、いきなり残念なお知らせを受けるところから小説がスタートします。いきなりのピンチ襲来。
「どんなことを告げられるのだろう?」という興味で読者はいっきにストーリーの世界に引き込まれます。
『月と六ペンス』サマセット・モーム
いまでは、チャールズ・ストリックランドの偉大さを否定する人などまずいない。
だが、白状すると、私はストリックランドと初めて出会ったとき、この男にどこか普通人と違うところがあるとは少しも思わなかった。
訳によって最初の一文が多少違うのですが、掲載したこの訳が一番面白く思えます。謎と意外性を感じさせる書き出しになっています。読者もストリックランドという男に注目するようになります。
「アイツが特別な人間だなんて最初は思ってなかった。でも今は認めてるよ」みたいな訳し方をしている本もあります。どっちの書き出しの方が魅力的かは一目瞭然ですよね。
文の並べ方によってずいぶん印象が変わってくることに注目してください。ふたつの文の並べ方を替えただけで面白さが全然違ってくることだってあります。
この3つがかましの常套手段です。それぞれの例文を見ていきましょう。効果が実感できるはずです。
終電を待つホームで見覚えのある人を見かけた。でも誰だか思い出せない。間違いなく見覚えのある人なのに。
こういう謎めいた始まり方にすると読者は「誰?」という知りたい気持ちになります。
ホームで終電を待っているとき奴らが階段を上がってくるのが見えた。わたしは急いで線路に飛び降り逃げ出した。
こんな感じのピンチからスタートすると「どうなるのだろう?」と心配させることができます。
終電が来た。しかし太郎は乗ろうとはせず、ドアが閉じられるのを黙って見ていた。
こちらは意外性パターンです。「どういうこと?」と興味をかき立てます。
謎・ピンチ・意外性のある出だしにして、興味を引く始まり方にしましょう。こうしたかましがないと次の例のような退屈な書き出しになってしまいます。
終電に乗って太郎は家に帰った。疲れていたのですぐに寝た。
翌朝起きると朝食を食べた。電車に乗って出社した。仕事をした。残業した。
何事もなく平穏に物事をこなしていくだけ。ほとんど意味のない文章になってしまっています。
書き出しでは必ずかますよう心がけましょう。退屈な書き出しでは退屈な始まり方にしかなりません。
敵をやっつけたので世界が平和になった。もう心配ない。
こちらも悪い例です。こんな書き出しでは誰も食い付いてくれません。次の例文のようにかましましょう。
敵はひざまづき、涙を流しながら命乞いをした。太郎は拳銃を取り出し、そいつの額に銃口を押し当てた。
こうした書き出しでスタートすれば読者は「次どうなるんだろう」と興味津々で読み進めてくれます。
川のほとりはたくさんの雑草で覆われ、川上から流されてきた岩があたりに散らばっていた。しかし川を流れる水はきれいだった。対岸には大きな木が1本あり、たくさんの葉が風に揺れている。
こうした情景描写だけの書き出しも退屈です。何かインパクトが欲しいです。
川の水はまるで血のように赤く見えた。去年ここで人が殺されたからだろう。
せめてこれぐらいのかましは欲しいところ。
花子が目の前を通り過ぎていった。声を掛けられなかった太郎は残念がった。デートに誘いたかったのに。
こういう書き出しも場面自体は悪くないけど、かましが足りません。
花子とデートできなかったら太郎は死のうと思っていた。花子がこちらにやって来る。でも足がふるえて最初の一歩が踏み出せない。花子は無情にも目の前を通り過ぎていく。命がかかっているのに。
物語をスタートさせる一文なのだから、これぐらいはブチかましておきたいところです。
コツはとにかくブチかますことです。遠慮しない。音楽でいえばいきなりサビから始まるようなつもりでブチかます。もったいつけない。
冒頭がうまく書けない人は「出だしから大事なことを書いてしまってはもったいない」というもったいぶりの気持ちがあります。だから書けません。
もったいつけず、いきなりサビをかましましょう。
たとえば「デートに誘ったら彼女はOKしてくれた」みたいな一文からはじまる小説ってありますよね。これでは面白くありません。事実を述べているだけ。
小説の核心部分にいきなり飛び込みましょう。
デートに誘った5分後にはボクは後悔しはじめ、10分後にはもう彼女に飽きていた。
こんな感じで小説のテーマやストーリーの核心にいきなり突っ込んでいきます。もったいぶると書き出しはうまくいきません。
「主人公が遊び人であることや恋に冷めてしまっていることなんかは後々判明する方が面白いのではないか」そういう心配が頭をよぎったりします。しかしもったいつけて情報を小出しにしてはいけません。
いきなり核心部分からスタートして、「どうして?」「どうなってしまうの?」という気持ちを読者に持たせましょう。
しっかりブチかまして、小説を力強くスタートさせましょう。
しかし冒頭というのは、しょせんは小説全体のほんの一部です。書き出しが面白いからといって名作だと認定してもらえるワケではありません。書き出しにつられて読者が必ず最後まで読んでくれるワケでもありません。
小説の良し悪しを決める要素がたとえば70個ほどあったとして、書き出しはそのひとつにすぎません。ただの1/70です。70個のなかでは一番最初に出てくるものだけにやたら目立つというだけ。
目に付きやすいものなので評論家とか文壇とか、あるいはネットとか、いろんな所で注目されます。
しかししょせんは70個のうちのひとつです。冒頭がうまく書けたからと調子に乗ってはいけません。残り69個の方がはるかに大事です。
小説全体から見ると書き出しの及ぼす影響はそこまで大きくありません。むしろ起承転結の「起」の部分をしっかりと立ち上げることの方がはるかに大事。立ち上げの良し悪しの方がはるかに面白さに影響します。
書き出しなんて70個のうちのひとつにすぎません。しかし出だしの一文は作者の才能が如実にあらわれる部分でもあります。小説全体の最初の一文です。かなり目立ちます。
この部分すらかませない人間がその後の中盤やクライマックスで果たしてかませるでしょうか。
出だしすらかませない人間はどの場所でもかませません。
出だしの一文を必死に作りましょう。意地でもかましてやりましょう。作家としての執念を冒頭の一文に込めましょう。
こうした気概すら持てない人はもう何も書けません。
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